鈴木あづみのプロフィール

幼少期

埼玉県富士見市で生まれ育った私。
父は会社勤め。母は専業主婦。
(のちにパート)
2人の弟がいる家庭で育ちました。

母は私たちに
「あいさつしなさい」
と毎日毎日、日に何度も言っていました。

そして、私のことを
「内気で、友だちがいない」と
思い込んでいたようです。

ほめることをしない母。

幼児期の頃の思い出・・・。

どんなに探しても、
ほめられた記憶がみつかりません。

 

それくらい、
私は叱咤されて育ちました。

 

小学生

裕福な家庭、というよりは
むしろその反対の家庭。

「欲しいものは
大人になってから買いなさい」

 

母にはそう言われていました。

 

私が何をしても怒る母。

 

家の手伝いをすれば

「のろまのカメ」
「日が暮れちゃう」

などなど。

 

学校のテストは100点が当たり前。

 

本は漫画本はありえなく、
小学1年生の頃から
伝記を読んでいたくらいです。

 

何をしてもほめられることがない。

 

そんな私は、
どんどん自信を無くしていきました。

 

だから、
ただ何となく生きている

そんな感じでした。

そのうち、外部に「承認」を
求めるようになりました。

 

児童会役員に立候補したり
クラスのリーダー的に活動したり。

 

今思えば「社会的地位」こそ
当時の私にとっての「居場所」
だったのかもしれません。

 

中学生

運動好きな母。
そして、運動が盛んな中学校。

 

母の目が気になってしまい、
コーラス部に入りたい気持ちを抑えて
バレーボール部に入りました。

 

楽しさはありましたが
毎日毎日、とっても苦痛でした。

好きではない部活。

中学2年生の時に
「勉強との両立ができない」
という理由を付けて退部しました。

 

それから、クラスの友達が離れていき、
「仲間はずれ」状態に。。。

 

この時は、本当にきつかったですね。

そして、中学3年生になり、
私は「受験」という「自由」を得ました。

 

進路を自由に決めることができる。

ようやく自分の意思を示すことができる。

 

そんな喜びを得ました。

 

母は、公立高校で
最難関の高校を希望していましたが、

私の担任の先生が「難しい」と
話してくれたため、
私は希望の私立の女子校を
受験できました。

 

そして・・・・

見事合格!!!

 

ようやく母から解放された。

 

そんな気持ちになりました。

 

 

高校生

自宅から学校まで片道1時間半。

そんな遠い学校に毎日通っていました。

女子校とはいえ、校則も厳しくなく、
自由でのんびりとした学校でした。

 

それもそのはず。
歴史ある名門大学の付属校だからです。
(「お嬢様学校」としても有名)

 

ここに入学する条件として
両親は私に
「付属校ではない大学に進学するように」
という条件をつけていましたので

私は、
付属大学に行く予定はありませんでした。
(95%が付属大に進学する高校なのにです!)

 

ここでようやく大好きな歌が歌える
コーラス部に入部。

地声が低いので
アルトパートでした。

 

それもとっても嬉しかったのですが、

友だちがたくさんできたこと、
自分の自由が保障されていること、

などなど、

とにかく、
ようやく「私らしさ」というものを
見つけることができました。

しかしながら、
急に変わることは難しいものです。

高校2年の時、
生徒会に入りました。

また地位にこだわってしまっていたのです。

しかも、
3年生でも生徒会役員をしていました。

 

でも、結果的に役員になってよかったです。

出会えない人とであえたり、
一緒に仕事をしたりして
とっても充実した3年間を過ごせました。

 

===☆===☆===☆

さてさて。

学校以外の活動です。

 

私は高校生時代に福祉に興味を持ちました。

これも母の勧めがきっかけなのですが(笑)

 

社会福祉協議会の方と
つながりを持ち、

のちにボランティアグループに
入会し、精力的に活動しました。

 

そのグループでの活動こそ
今の私の基盤です。

 

活動内容は
障害のある方の余暇支援。

 

障害のある人にとっての余暇、
そして、そのご家族にとって
障害のある方が自宅にいない時間。

 

その大切さというか
何というか。

人として生きるための
純粋に必要なことに
気づかされました。

 

ここで障害者福祉について
たくさんの学びを得ました。

 

ノーマライゼーションについて
学んだのもこの場所でした。

 

浪人生

最初の大学受験は東北福祉大学。
将来は福祉の仕事に就こうと思ったのです。

しかし、いや、予想通り、
付属校に通う私は見事に落ちました。

そして1年間の浪人生活を送りました。

大学浪人が決まった時、
小学生の頃に抱いていた
「小学校の先生になる夢をかなえよう」と
ようやく進路を導き出しました。

 

アルバイトをしながら
受験勉強に励みました。

 

浪人生仲間と切磋琢磨して
辛い冬の時季を乗り切りました。

 

 

大学生

「学校の先生」の免許が取れる大学へ進学。

もちろん「教育学」ばかりを学びます。

 

でも、それだけじゃつまらないと思い、
人類学や心理学、社会学などなど
多種の学びを得ました。

 

アルバイトも小学校教師を意識して
学習塾の講師に。

 

部活をする気はなかったのですが、
混声合唱部にスカウトされてしまいましたw
(今の趣味です!!しかもソプラノパート)

 

ゼミの先生とは
今でも年に1度お目に掛っています。

 

そして・・・・
ここでも、私らしい「生き方」ができました。

 

自分で自分らしく生きる自由。

 

 

このすばらしさを
言葉で言い表すことは難しすぎます。

 

 

私はようやくここで

 

自分を好き

 

と言えるようになりました。

 

小学校教師時代(最初の3年)

大学を卒業してすぐ、
私は小学校の教師として
人生をスタートさせました。

 

幼い頃からずっとずっと
抱き続けてきた夢を
叶えることができた喜びで
満ち溢れていました。

 

毎日毎日
子どもたちと楽しく過ごしながら
「学校の先生」という

言葉で表現できないくらいの
非常に大変な仕事をこなすことで
精一杯でした。

 

小学校教師3年目の年。

私はあることに気がついてしまいました。

それは、
今の日本の教育では、
子ども一人ひとりに適した
発達ニーズに十分に
応えることができないということです。

 

私の教師としての力量がなかったためだとは
思っていますが、

これに気づいた時から
私は自分自身の指導に対して
今まで以上に自信を持つことが
できなくなりました。

 

「この教育で、
子どもたちの未来は大丈夫なのだろうか」

「一人ひとりに合う教育は
このままではできないのではないか」

 

そう思えば思うほど、
心が苦しくなりました。

 

もうどうにもできなくなった時、
校長先生が私に声をかけてくれました。

 

 

そう。

人事異動です。

 

ここでようやく私にチャンスが!!

 

 

そうなんです。

「福祉分野」を仕事にできる
可能性が生まれたのです!

 

 

・・・という訳で、
私は、特別支援学級への
異動を希望しました。

 

小学校教師時代(後の10年)

ここからいよいよ
「私のスタイル」が加速します。

 

新たな小学校で
特別支援学級の担任になりました。

 

 

「ここなら、一人ひとりの
発達ニーズに応えることができる!」

 

そう思って日々学びの毎日を
過ごしました。

私の上司であり、同僚のT先生。

実はご自身の信念を貫いて
児童の指導をはじめ、
保護者の方のサポートまで
すべてこなしていらっしゃいました。

保護者の方からの信頼は厚く、
さらには子どもたちからも
何年にも渡って頼られている先生でした。

 

他の特別支援学級でもそうなのかと
思っていたのですが、

私が赴任した頃は、どこの学校も
通常の学級のミニチュア版。

 

つまり、一斉指導が基本でした。
児童一人ひとりの
発達ニーズに対応するというには
遠いような気がしました。

 

===☆===☆===☆

実は、このT先生の出会いが
私の療育に掛ける気持ちを
引き出してくれました。

 

「療育」という言葉も
応用行動分析も
TEACCHプログラムも

全てT先生から学び、
当時担任をしていた子どもたちで
実践を重ねてきました。

 

特別支援学級の担任をして
3年が過ぎた頃、
ようやく自分のものになってきたような
そんな気持ちになりました。

 

その後、私のプライベートに
大きな変化がありました。

 

結婚

妊娠

流産

新生児死

育児

 

これでもか、というくらいの
激動でしたね。

 

妊娠・出産・育児を機に
T先生と一緒に仕事をする時間が
絶たれました。

 

そして、
私は2度目の人事異動に。

===☆===☆===☆

異動した学校は、
正直「劣悪」な環境でした。

 

「特別支援学級の担任」というだけで
一部の教師から差別されていました。

 

ですから、
児童はもっと差別されていたと
言えるでしょう。

 

特別支援学級のお子さんが
教師に話しかけても
その先生が無視をする。

 

そんな学校でした。

 

私は啓発をするべきだと思いましたが、
それは辞めることにしました。

ここにエネルギーを注ぐなら
もっと自分の人生に
エネルギーを注ごう。

 

そう思ったら、
「教師を辞める」という選択肢が出てきました。

 

 

そして、
「もっと真剣に応用行動分析を学んで
子どもたちの能力を引き出そう」

と考えるようになりました。

 

 

===☆===☆===☆

ただ、この時代に出会った
全ての保護者の方には、
いくら感謝しても
足りないくらいの導きをいただきました。

 

お子さんへの関わり方をはじめとして
子どもへの愛情のかけ方、
サポートやフォローの仕方、
それから人権的な考え方まで・・・

 

お子さんから学ぶのは
当たり前なのですが、

この10年間、
ママさんたちからも
心強い学びをいただきました。

本当に、本当に
ありがとうございます。

 

民間療育機関時代

娘の育児休業を機に
私は教師を退職しました。

 

そして、
応用行動分析をフル活用している
民間療育機関に就職しました。

 

ここでは、未就学の自閉症を抱えた
お子さんたちの療育をしていました。

 

「ペアレントトレーニング」といって、
ママさん、パパさんが
どうやって家庭療育を進めていくのかを
お伝えしている施設でした。

 

この応用行動分析の療育。

科学的にその効果が
証明されてはいるものの、
実は、週に40時間もかけるそうです。

 

これでは、日本の育児スタイルに
取り入れるのは難しいよな、と思いました。

 

さらにですね。

ここではママさんたちが
教材を手作りしています。

 

すごく工夫を凝らしています。

 

「これもまた大変だよな」

「療育さえ不要なら、
ママさんたちがこんな苦労を
しなくて済むのに」

 

そう思っていました。

 

 

さらにですね、

ここの事業所では
2歳のお子さんにひらがなを
教えていました!!

これには私も驚きました。

 

 

2歳には2歳でしかできない
「見えない発達がある」のです。

 

それを療育が阻害していないかどうか
とっても、とっても心配でした。

なにせ、週に40時間の療育ですから。

===☆===☆===☆

ここの療育機関は
火曜日から金曜日、
そして、日曜祝日が勤務日でした。

 

そのため、私の家庭が崩壊寸前に!!
(平日は、8時から19時30分まで
子どもたちを預けていました!)

 

その他、いろいろな思いがあり、
退職をすることになりました。

 

起業してから今

民間の療育機関を辞めてから
療育の仕事を探しましたが、
自分に合う職は見つかりませんでした。

 

そこで立ち上げたのが
小学6年生までが個別療育を
受けることができる

「個別療育塾ありあんち」です。

小学生になると、
幼児期のような丁寧な療育が
ほとんどなくなります。

 

学習塾や家庭教師でも
「発達障害のお子さんでも大丈夫」
という言葉を掲げているところもありますが、

学習塾も家庭教師も
殆どの講師が「学生」です。

発達障害に詳しいかというと
そうではないですよね・・・。

 

 

小学生になって
療育の必要性に気づいても
通える場所がないのが現状です。

 

とにかく、
小学生になってしまうと
療育の機会が絶たれてしまうことを

私は問題だと思っています。
だからありあんちを立ち上げました。

 

 

おかげ様で、私の療育塾は
いろいろなご縁があり、
多くの方にご利用いただいております♪

 

 

でもですね、

この療育塾だけでは
全国のママさんや
お子さんは救うことが出来ないのです。

それに気づいた時、
私は「おうち療育」に注目しました。

 

プログラムがあって
毎日毎日時間を作って
実施しなければならない
家庭療育では息が詰まってきます。

 

そして、それは当然ながら
「きょうだい児」
と呼ばれるお子さんへの
影響も懸念されます。

 

 

それでは、療育の意味がない。

 

もっと育児と一緒にできて
育児に取り入れりだけの、
育児に馴染む療育があるはずだ!!!

 

 

・・・・

そう思って開発したのが

 

「10分間おうち療育」

 

という訳です。

 

 

 

10分間おうち療育を開発して
半年が経過しようとしている今、

たくさんのママさんたちが
育児が楽になっています。

お子さんにも
そしてママさんにも
笑顔が多くなりました。

 

どのママさんも
無理なく毎日の生活に取り入れて
お子さんの「できた!」を
増やしていますよ。

 

それに・・・・

副産物も生まれています!!

 

●下の子どもの育児にも役立っている
●パパも育児に参加してくるようになった
●ママ自身の怒る回数が激減した
●育児が楽しくなった

 

などなど。
たくさんのお声が届いています♪

 

 

私のミッション

子どもも、ママも
自分を自分で好きと言って
人生を自分らしく過ごせる

 

そんなことへのサポートをするのが
私のミッションです。

 

 

今は、療育という分野を
活用しています。

 

私を必要としてくれている
ママさんとお子さんには
真剣、かつ、全力で
お手伝いをさせていただきます!!!

 

 

ママさんとお子さんの
明るい未来を
一緒に切り拓きましょう。

記:2017年1月6日